鉛筆画を中心に作品制作しています。
今回は、
「美のカケラ」を求めて
ベネチアの旅 街を徘徊編(1)
「窓、扉、壁」は、古都ベネチアを支えている大切な「美のカケラ」 さっそく集めに行ってみよう! |
ベネチアといえば、
水の都、サン・マルコ広場、ドゥカーレ宮殿。
仮面舞踏会(ベネチアカーニバル)。
仮面の店、コスプレ多数。
ゴンドラ、海の幸などなど。
市場には旨いもの一杯。
いつまでも滞在していたい!魅力で溢れています。
が!
そちらの案内は、別のブログにお任せするとして、
こちらのブログでは、
あえて 窓、扉、壁 に注目して
「美のカケラ」を見つけに行きたいと思います。
地味だと思われるかもしれませんが、
多くの観光客を惹きつけてやまない美しきベネチアの街。
実は、その魅力を支えている大切な要素の一つが、
「窓、扉、壁」たちではないでしょうか。
建築や歴史的なアプローチなど、
ベネチア散策の中で、
絵のモチーフとして目を引いた
ほんの一部を
ご紹介したいと思います。
ベネチアでは、
吹きガラスを平らに伸ばした板ガラスを、
巧みにはめ込んだ窓を多く見かけます。
それも、かなり古い!
その窓に、
各時代の職人が考案した鋳造窓柵が重なり合って、
魅力的なハーモニーを醸し出しています。
そのデザインも美しい!
屋外に長い間さらされていたこともあり、
時間の経過でとても深い味わいになっています。
エイジング効果は抜群!
中世から引き継がれている建物ゆえに、
生活の中で使い込まれた手擦れ、
戦火を逃れてきた傷跡、
沈下の影響による歪みなどが、
いたるところに見受けられます。
繰り返された修繕や改築、
塗り直しや張り替えなどなど。
整然とした幾何学模様の窓や柵に、
これらのイレギュラーな要素が加わり、
ベネチアならではの歴史的味わいが
生まれたんですね。
日本では、
ほとんどの建物が木と紙と土でできているので、
なかなか残りません。
先ほどの歴史的味わいを
もう少しだけ広げるために、
ここで、ちょこっとだけ、
ベネチアの歴史を。
イタリアのほとんどの都市の歴史は
紀元前からです。
が、
ベネチアの起源は6世紀末。
それまでは、ラグーナと呼ばれる遠浅の
潟が広がっていました。
始まりは、異民族の侵略から逃れるために、
この潟に杭を打ち家を建て、住み始めたことからです。
東京の場合、
皇居から先の海側を埋め立てて街にしましたが、
隣国との争いを避けるためではないですものね。
7〜8世紀頃、独特の政体が誕生。
828年、聖人を祀るためのサン・マルコ寺院が創建し共和国へ。
10世紀〜11世紀、ヨーロッパとオリエントを結ぶ東方貿易の中心地となり、十字軍遠征により黒海の覇権を掌握。
13世紀中葉には東方貿易を独占し、ベネチアに莫大な富がもたらされました。
14世紀後半〜15世紀、ベネチアは経済、軍事、文化そして、芸術の絶頂期。
富の象徴、ドゥカーレ宮殿
ビザンチン様式が溶け込んだ華麗な宮殿や館が
サン・マルコ広場周辺や大運河沿いに続々と!
絵画では、ティツィアーノ、ティントレット、ヴェロネーゼらベネチア派。
(ティツィアーノ、フローラ)
身につけている衣装や装飾品の豪華なこと!!
ガラス細工やレースもヨーロッパ中の貴族たちの憧れに!
ところが!
15世紀以降、トルコとの戦いや新大陸とを結ぶ航路が発見。
ナポレオンが入城、 オーストリアとフランスの支配、イタリア王国に併合。
ベネチアは衰退の一途に。
しかし、18〜19世紀、
劇場等のエンターテイメント施設が整備され、
ヨーロッパ中から芸術家や文化人が訪れます。
20世紀以降、
ベネチアは、水上の迷宮として、
世界的な芸術文化の観光都市となりました。
ヨーロッパの窓といえば、やはり、
太陽の光が浮かび上がらせる荘厳なステンドグラスの風景。
も、良いのですが、
やはり夜の灯が叙情を盛り上げますよね。
電燈以前は、ガス灯やろうそくの灯。
屋内から漏れる灯はわずかでしたが、
現代では、電灯の光が窓からの溢れてきます。
現代の華やかな光と、歴史が紡いだ重厚な窓が、
とても幻想的な風景を見せてくれますね。
一方こちらは、少し怖い窓!
ドゥカーレ宮殿のすぐとなり。
小さな廊下で繋がっている窓の少ない建物。
罪に問われた人々が収監されていた牢獄です。
細い運河に架けられたその小さな廊下を渡れば、
2度と戻れなかったとのこと!
その渡り廊下にある唯一の窓がこれです。
もしかしたら、
この窓の先には、その瞳には、
最後に見る海や、
涙して見送る人々が映っていたかも。
コメント